翼状肩甲

翼状肩甲とは

翼状肩甲(Scapular Winging)とは、肩甲骨を胸郭後面に密着させる肩甲帯安定筋群の筋力低下または麻痺により、肩甲骨の内側縁や下角が背中から浮き上がり、まるで天使の翼や鳥の折り畳んだ羽根のように突出した状態を指します。正常な肩関節運動では、肩甲骨は上腕骨の動きに協調して胸郭上を滑走しますが、翼状肩甲では肩甲骨が不安定となり、特に腕を前方や上方へ挙上する際に内側縁が顕著に浮き上がります。最も一般的な原因は前鋸筋の麻痺であり、この筋肉を支配する長胸神経の障害によって生じます。他にも僧帽筋麻痺(副神経障害)や菱形筋麻痺(肩甲背神経障害)でも翼状肩甲が生じることがあります。

どこでみるのか

翼状肩甲の評価は、主に視診と触診によって行います。患者を立位または座位にし、背面から肩甲骨の位置を観察します。安静時にも肩甲骨内側縁の浮き上がりが見られることがありますが、動作時にはより明確になります。典型的な評価方法として、壁押しテスト(Wall Push-up Test)があります。患者に壁に両手をついて上体を前方に倒させると、前鋸筋麻痺側の肩甲骨内側縁が顕著に浮き上がります。また、腕を前方または上方へ挙上させる動作でも翼状肩甲は明確に観察されます。触診では、肩甲骨内側縁を指で押さえながら腕を動かし、肩甲骨の安定性と筋の収縮を確認します。さらに、前鋸筋、僧帽筋、菱形筋の筋力テスト(MMT)や筋萎縮の有無も重要な評価項目です。

何をみているのか

翼状肩甲の評価では、肩甲骨の静的アライメントと動的安定性を観察します。静的評価では、安静時の肩甲骨位置(内側縁や下角の浮き上がり、左右差、肩甲骨の前傾・下方回旋)を確認します。動的評価では、上肢挙上時の肩甲上腕リズム(scapulohumeral rhythm)が保たれているか、肩甲骨の上方回旋と外転が適切に起こっているかを観察します。前鋸筋麻痺では、上肢を前方へ挙上する際に肩甲骨が胸郭から剥がれるように内側縁全体が浮き上がり(Type II winging)、上方回旋が制限されます。僧帽筋麻痺では下角が特に突出し、菱形筋麻痺では内側縁が外側に移動します。また、代償動作として下部僧帽筋がロープ状に浮き出る所見(77%の症例で見られる)や、肩甲骨の急激な滑り(sudden scapular slip)も重要な観察点です。

臨床でどうみるか

臨床現場では、患者の主訴(肩の痛み、腕が上がらない、肩の不安定感)から翼状肩甲を疑い、系統的な評価を進めます。まず病歴を聴取し、神経損傷の原因(外傷、手術、過度な運動、ウイルス感染など)を探ります。前鋸筋麻痺では、テニスやバレーボールなどオーバーヘッドスポーツの後、あるいは重量物の持ち上げ後に発症することがあります。視診では、患者に腕を90度前方挙上させたり、壁を押させたりして翼状肩甲を誘発します。前鋸筋麻痺の場合、腕の前方挙上が制限され(多くは110度程度まで)、それ以上の挙上では肩甲上腕リズムが破綻します。触診では前鋸筋の筋腹を確認し、収縮が触知できるかを評価します。また、副神経支配の僧帽筋や肩甲背神経支配の菱形筋の萎縮や麻痺の有無も確認し、鑑別診断を行います。

評価で何をみるか

翼状肩甲の詳細な評価では、以下の項目を系統的に確認します。

  • 安静時の肩甲骨アライメント(内側縁・下角の浮き上がり)
  • 左右の肩甲骨位置の比較
  • 壁押しテスト(Wall Push-up Test)の陽性所見
  • 上肢挙上時の翼状肩甲の程度
  • 肩関節可動域(特に屈曲・外転の制限)
  • 肩甲上腕リズムの破綻
  • 前鋸筋の筋力(MMT)
  • 前鋸筋の筋萎縮の有無
  • 僧帽筋(上部・中部・下部)の筋力と萎縮
  • 菱形筋の筋力と萎縮
  • 下部僧帽筋のロープ状突出(代償動作)
  • 肩甲骨の急激な滑り(sudden scapular slip)
  • 疼痛の有無と部位
  • 肩関節の不安定感
  • 日常生活動作(ADL)への影響(整髪動作、洗顔など)
  • 神経伝導検査(長胸神経、副神経、肩甲背神経)
  • 画像診断(X線、MRI、超音波)

臨床でよく出る問題

翼状肩甲に関連して臨床上しばしば遭遇する問題には、以下のようなものがあります。

  • 腕の前方・上方挙上制限(多くは110度程度まで)
  • 肩の不安定感、脱力感
  • 肩甲骨周囲の疼痛
  • 整髪動作、洗顔動作の困難
  • 重量物の持ち上げ困難
  • オーバーヘッド動作の制限
  • 肩甲上腕リズムの破綻
  • 二次的な肩関節インピンジメント症候群
  • 肩関節周囲炎(五十肩)の合併
  • 肩関節亜脱臼(弛緩性麻痺期)
  • 代償動作による他部位の疼痛(頸部、腰部)
  • スポーツ復帰の遅延
  • 美容的な問題(肩甲骨の突出)

起こりやすい要因

翼状肩甲を引き起こす主な要因は以下の通りです。

  • 長胸神経麻痺(前鋸筋麻痺):最多原因
  • 外傷(鎖骨骨折、肋骨骨折、肩甲骨骨折)
  • 手術後(腋窩リンパ節郭清、乳房切除術など)
  • オーバーヘッドスポーツ(テニス、バレーボール、野球)
  • 重量物の反復的持ち上げ
  • 神経伸展損傷(リュックサックの過重負荷など)
  • ウイルス感染(帯状疱疹ウイルスなど)
  • 副神経麻痺(僧帽筋麻痺)
  • 肩甲背神経麻痺(菱形筋麻痺)
  • 筋ジストロフィー、FSH型筋ジストロフィー
  • 多発性筋炎、筋萎縮性側索硬化症(ALS)
  • 頸椎疾患(神経根症)
  • 長時間の不良姿勢
  • 加齢による筋力低下

注意したい症状

翼状肩甲の発症や悪化を疑う際に特に注意すべき症状は以下です。

  • 肩甲骨が背中から浮き上がって見える
  • 腕を前や上に挙げると肩甲骨が飛び出す
  • 腕を上げる動作が途中で止まってしまう
  • 壁を押すと肩甲骨が浮き上がる
  • 肩周囲の痛みや違和感
  • 腕に力が入りにくい
  • 整髪動作や洗顔動作がしにくい
  • 肩が不安定でぐらつく感じがする
  • 肩が疲れやすい
  • 重いものを持てない
  • スポーツ動作(投球、スマッシュなど)ができない
  • 背中の筋肉が痩せてきた
  • 左右の肩の高さが違う

対応の基本

翼状肩甲への対応は、原因と時期に応じて段階的に進めます。急性期(神経損傷直後)には、神経の過伸張を避けるための適切なポジショニングが最優先です。上肢を挙上位に保持したり、過度な他動運動を行うと神経損傷を悪化させる可能性があります。弛緩性麻痺期には、肩関節の亜脱臼予防と拘縮予防のため、適切な肢位保持(アームスリングなど)と穏やかな可動域訓練を行います。回復期には、前鋸筋の筋力強化訓練を段階的に進めます。壁押し運動(Wall Push-up)、プラスワン(Plus One)、プロトラクション訓練などが効果的です。また、肩甲骨の安定性を高めるため、僧帽筋や菱形筋などの他の肩甲帯筋群も併せて強化します。保存療法で改善が見込めない場合(平均9ヶ月以上経過しても回復しない場合)や、重度の機能障害がある場合には、手術療法(筋腱移行術、神経移植術など)が検討されます。

リハビリの視点

リハビリテーションの視点では、翼状肩甲は肩関節機能全体に影響を及ぼすため、包括的なアプローチが必要です。前鋸筋麻痺による翼状肩甲では、肩甲骨の安定性喪失により肩甲上腕リズムが破綻し、上肢挙上動作が制限されます。これは日常生活動作(ADL)の大きな制限となるため、早期からの適切な介入が重要です。リハビリプログラムでは、麻痺の時期(弛緩期、回復期、慢性期)に応じた段階的な訓練を行います。弛緩期には過剰な運動を避け、適切なポジショニングと穏やかな関節可動域訓練にとどめます。回復期には、前鋸筋の随意収縮を促すため、視覚的フィードバック(鏡を用いた訓練)や触覚的キューイング(筋の収縮部位を触る)を活用します。また、代償動作パターンの定着を防ぐため、正常な肩甲上腕リズムの再学習を重視します。長期的には、スポーツ復帰や職業復帰を見据えた機能的訓練(投球動作、重量物持ち上げ動作など)へと進めます。患者教育も重要で、神経損傷の悪化を防ぐための日常生活での注意点(過度な牽引動作を避けるなど)を指導します。

ひとことで言うと

翼状肩甲とは肩甲骨安定筋の筋力低下や麻痺により肩甲骨の内側縁が背中から浮き上がる状態で、最多原因は前鋸筋麻痺(長胸神経障害)であり、段階的な筋力強化訓練と適切なポジショニングが回復の鍵となります。

関連用語

  • 前鋸筋(Serratus Anterior)
  • 長胸神経(Long Thoracic Nerve)
  • 肩甲上腕リズム(Scapulohumeral Rhythm)
  • 壁押しテスト(Wall Push-up Test)
  • 僧帽筋(Trapezius)
  • 菱形筋(Rhomboid)
  • 副神経(Accessory Nerve)
  • 肩甲背神経(Dorsal Scapular Nerve)
  • 肩甲骨安定化(Scapular Stabilization)
  • プラスワン訓練(Plus One Exercise)

参考文献


関連記事

  • 前鋸筋の機能解剖と筋力強化訓練
  • 長胸神経麻痺の診断と治療
  • 肩甲上腕リズムの評価と臨床的意義
  • 肩甲骨安定化エクササイズの実践
  • 僧帽筋麻痺と副神経障害
  • 肩関節インピンジメント症候群との鑑別

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